
日本初の高速道路である名神高速道路(栗東~尼崎間71.7km)が開通したのは、1963年(昭和38年)のことだ。当時設定された最高速度100km/hの制限は、60年以上が経過した現在まで、日本の高速道路における速度規制の基本的な枠組みとして維持されている。自動車技術が飛躍的に進歩し、先進安全装備が普及した現在も、なぜ約60年前の基準が適用されているのかについては、数多くの疑問が提起されてきた。開通当時、名神高速道路の一部区間は設計速度が120km/hだったにもかかわらず、一律に100km/hの速度制限が設けられた。技術面やインフラ面に限界があった時代に生まれた速度規制の背景と、自動車性能が大幅に向上した現代の道路環境における速度制限見直しの議論を多角的に見ていく。
1960年代の日本の道路環境は、主要国道でさえ土ぼこりが舞う未舗装道路が大半を占めるほど非常に劣悪だった。当時販売されていた量産車は悪路走破性に重点が置かれ、エンジンやサスペンションの性能も高速走行には適していなかった。実際、名神高速道路の開通初期には、100km/hでの連続走行を試みた結果、エンジンがオーバーヒート(過熱)し、路肩に停止する車が相次いだこともあった。グリップ力や操縦安定性に劣るバイアス構造のタイヤも、高速走行時に車両の直進安定性を維持することを難しくしていた。馬車文化を背景に早くから道路網や高速走行インフラを整備してきた欧州とは異なり、日本は歩行や大八車(手押し車)を中心とする道路の歴史を持ち、高速道路という概念そのものがまだなじみの薄い時代だった。結局、1963年に設けられた100km/h制限は、車両やタイヤ、ドライバーの技術的な限界を考慮した最低限の安全策だったといえる。

現在の自動車は、1960年代とは比較にならないほど進化している。高出力エンジンや先進的な電子制御装置(ABS、ESCなど)に加え、グリップ力と安定性に優れたラジアルタイヤが標準化され、100km/hを超える速度でも安定した走行が可能になった。こうした技術の進歩に合わせ、日本当局も東北自動車道や新東名高速道路など、道路条件が良好な一部区間の最高速度を段階的に120km/hへ引き上げた。最新の先進運転支援システム(ADAS)や自動運転技術の普及は、高速走行時のドライバーの疲労を軽減し、事故リスクを低減することにも大きく貢献している。自動車の耐久性と安全性が過去とは比べものにならないほど向上したことから、道路の設計仕様や交通量に応じて柔軟に速度制限を再設定する必要があるとの声が強まっている。
しかし、自動車性能が向上したからといって、速度制限をむやみに撤廃したり、一律に引き上げたりすることはできない。世界で唯一、速度無制限区間を運用しているドイツのアウトバーンも、すべての区間が速度無制限というわけではなく、市街地周辺や山岳地帯、危険区間には厳格な速度制限が適用されている。特にドイツでは、ドライバーが自らの運転能力や道路状況に応じて自ら責任を負う「自律と公的責任」という意識が定着している。一方、車両の先進機能だけに過度に依存し、感覚が鈍ったまま漫然とした運転を続けた場合、どれほど安全性の高い車であっても重大事故を避けることはできない。さまざまな運転経験や熟練度を持つ利用者が共に使用する道路では、社会的合意に基づく適切な速度管理が不可欠だ。