量産クラウンで豪州一周1万7,000km、トヨタが1957年に賭けた完走の証明

【引用:ソウル経済】敗戦で荒廃した日本は朝鮮戦争特需を追い風に急速な復興と資本蓄積を進め、産業の正常化を達成していった。その過程で自動車産業も再び活気を取り戻し、実用性と品質を軸に次の成長段階へ移行していった。

【引用:ソウル経済】トヨタ自動車は1955年に初の独自モデルとなるトヨペット・クラウンを発表し、翌年にはロンドン―東京5万km走破によって信頼性を示した。そして1957年、同社は当時最も過酷とされた豪州一周モービルガス・ラリーに量産ベースのクラウンを投入する決断を下した。

【引用:ソウル経済】挑戦車両クラウンRSDはラグジュアリーセダンを基盤とし、過酷な走行に備えた最小限の補強のみを施した構成となっていた。全長4,285mmの4ドアセダンに対し、ヘッドライトやタイヤの調整を行うに留め、車両本来の完成度を検証する狙いが明確だった。

【引用:ソウル経済】漆黒のボディには日本と開催国オーストラリアの国旗が交差して描かれ、ドアには黄色い円とエントリー番号100が記されていた。室内も量産仕様を維持し、ベンチシートと細身リムのステアリングがそのまま残され、当時の挑戦姿勢を伝えていた。

【引用:ソウル経済】搭載されたパワーユニットは直列4気筒1,453ccのR型OHVで、4,000rpm時に約35kWを発生した。車両重量1,240kgに対して高出力とは言えなかったが、トヨタは最高性能よりも長距離走行に耐える信頼性を重視していた。

【引用:ソウル経済】堅牢なシャシーと安定したパワートレインの組み合わせにより、クラウンRSDは17,000kmに及ぶ大陸一周行程を走破した。19日間で86台中52台のみが完走した豪州ラリーにおいて、近藤幸次郎と神之村邦夫が操る100番車は総合47位、海外車両部門3位でフィニッシュした。

【引用:ソウル経済】この完走はトヨタモータースポーツの出発点として位置付けられ、日本製自動車の耐久性を世界に示す結果となった。成功は同年10月の米国市場へのクラウン輸出につながり、当時車両は現存しないものの1958年型を基にした復元車が後世に残され、現在は富士スピードウェイ内の富士モータースポーツミュージアムでその系譜を確認できる。

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