
1989年、R32世代の日産スカイラインGT-Rが登場すると、国内外のモータースポーツ界を席巻した。オーストラリアの自動車専門誌「Wheels」が与えた「ゴジラ」という異名の通り、その戦闘力は圧倒的で、全日本ツーリングカー選手権では4年連続優勝を果たし、オーストラリアツーリングカー選手権でも1991年から3年連続で王座を獲得した。その支配力はあまりに強大で、最終的には規則改正によって4WDとターボエンジンが禁止される事態を招いた。

日産はツーリングカーでの成功を武器にル・マン24時間レースへ挑戦したが、1995年は10位、翌1996年は15位と、表彰台を掴むには至らなかった。しかし、この挑戦は後に大きな意味を持つ。参戦を記念し、モータースポーツ部門のニスモに特別プロジェクトを託すことで誕生したのが、伝説的な限定モデル「R33 GT-R NISMO 400R」である。

400Rは標準のRB26DETTを拡大した「RB-GTX」エンジンを搭載し、排気量を2.8リットルに拡大。ツインターボはブースト圧を引き上げ、最高出力は400馬力級に達した。1997年には米「Hot Rod Magazine」のテストで0-100km/h加速3.8秒、最高速度300km/h超という驚異的なパフォーマンスを記録している。

さらに車体にはモータースポーツ直系の技術が惜しみなく投入された。カーボンファイバー製のボンネットやリアウイング、チタン製ストラットバーやカーボンドライブシャフト、ビルシュタイン製ダンパーを採用。サスペンションは車高を30mm下げ、LM GT1マシン由来の3ピース18インチホイールを装着するなど、徹底した軽量化と高性能化が図られた。

しかし、ニスモが計画した100台のうち実際に生産されたのはごくわずかにとどまった。当時の日本は「失われた10年」の不況下にあり、標準R33 GT-Rの約3倍という価格が販売を阻んだためである。その希少性から、400Rは今日において最も価値あるGT-Rの一つとして、中古市場でプレミアムの象徴となっている。